劇団わらび座

森下彰夫インタビュー

2008年12月6日収録

「一番感動したのは、わらび座を支える熱いファン!」

わらび座に入ろうと思ったきっかけは?

最初のきっかけというか、小さい頃から親に連れられて観てたらしいんです。 自分では、あまり記憶がないんですけどね。小・中・高とまったく演劇に興味が無くて…。

子どもの頃は、すごい引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったんです。 国語の朗読の時間になると、今でも覚えているんですけど震えるんですよ(笑)。 顔が真っ赤になって汗がすごく出て、普通に読めない。 中学校の時は、音楽の時間に緊張して歌を発表できなくて、成績が「1」だった(笑)。 人前で話をしたり、自分の意見を言う事ができなかった。ずーっとできなくて…。 大学の時に『よさこいソーラン』に出会って、踊りを通して初めて自己解放ができた。 自分も表現できるんだと初めてわかって、そこから人と話すのが好きになって、自分の意見を伝える事は大事なんだなぁって気付いた。

そこから人生が180度変わりましたね。 それまでは、“人と何かを作り出す”ってことをしてこなかった。 小さい頃の夢は漫画家だったので、ずーっと一人で漫画を描いて満足していた。 人とコラボレーションっていうか、意見を言い合って何かするのは『よさこい』で初めて知って、すごく感動したんですよ。 渡部徹(元劇団員。現在、米国ポートランド太鼓で活躍中)も一緒のチームだったんだけど、一緒に振付けをして、初めて人と泣いて抱き合うほどの感動を得て、この世界に入ろうと思ったんです。

森下 インタビュー

その頃、親に「昔、彰夫にわらび座の舞台をよく観せに連れて行ったんだよ。」って聞かされました。 その時ちょうどわらび座の『春秋山伏記』が、北海道の湧別に来ていたので、公演を観に行ったんです。 わらび座の舞台は、役者さん達の目が輝いていて。 普通、舞台って主人公だけが目立って、何かその人だけの物語って感じがしてたんだけど、わらび座を観たら全員が輝いていて“うわ〜、劇ってすごいかも!!”って初めて思って。 それで大学4年生の時に、友達とわらび座北海道ファンクラブのツアーに参加して。 いろいろ感動したんだけど、何に一番感動したかって言ったら、ファンの方達が熱くて! 「何ていう人達に支えられているんだろう、この集団は!?」と思って。 帰りにフェリーで別れの挨拶の時にファン同士で泣き合っていて。もちろん僕らも泣きましたけど(笑)。 「楽しかったね、楽しかったね」って。“何だ、これは!?”って感じでしたね。 こんなに熱いファンに支えられているし、役者達は輝いているし。 “こんな集団がいる!?こんな所いいなぁ”って思いました。 最初のきっかけは、踊りが好きだから踊りの勉強をする為にわらび座に入った。

■2度の研究生を経て…フライングの初舞台!?

研究生はどうでしたか?

1年目43期研究生(先述の渡部徹や碓井涼子と同期)に入って、すぐ煮詰まっちゃって。 熱い気持ちで入ったんだけど…。 何がきっかけだったのかわからないんだけど、嫌になってきちゃったんですよ。 今振り返ると、壁にぶつかったと思うんですが、演劇だったり歌だったり踊りだったりの。 その壁に立ち向かう前に心が折れちゃって…。 そのまま北海道に帰りました。 わらび座への思いを忘れようとして、“辞めたんだ、スッキリしよう。踊りは趣味で生きよう。”と心に決めて、福祉施設に就職しました。

しばらく何事もなく働いていたら、そこで働くすごーく情熱的な上司の人から「森下さんはおかしい。」って何度も言われた。 「森下さんは自分の事ばっかり、人を見ていない。支援の仕方だったり接し方だったり、自分のしている事が正しいと思ってやってるでしょ。」って言われました。 自分は“そんなつもりは無い、頑張っている”って思って働いていたんだけど…。 しかし実際は、本当にやりたかった事ではない仕事に就いているから、目標を持てなかった。 だから、自分を評価してもらいたい、上手く仕事をしようってなって…。 そんな気持ちで仕事を続けてたいら、心が荒んじゃって。“このままだと俺は駄目になる”って思って。 なんでこうなっているのか考えたら、根底にわらび座があった。 その福祉施設で3年働いて、“あぁそっか、後悔の念があったんだ”と気付いた。 もう一回やろうと決めて、講師室(研究生を養成するための講師の事務所)に電話した。「俺もう一回受けたいんです。」って。 でも、その電話かけるのに3日間くらいかかってしまって(笑)。 1回目は、ダイヤルした瞬間、ガチャンって切っちゃって“うわ〜、駄目だ”って。 2回目は、プルルまで聞いてガチャンって切って。 3回目にやっとかけられました。もうドクドクしながら(笑)。 だけど、もういっぺん挑戦しようと思ったらスッキリしました。

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今は、その3年間の事が糧になってますね、ブランクがあったからこそわかる、台本の読み方とか。 あの経験がないと持てなかったなぁ、一度辞めてよかったなぁって思う。 この時に入った期は、宮本昌明とか末武あすなろ達と同期。 その時すでに26歳になっていましたから、18歳の人達と一緒に研究生ができたのは、ある意味刺激的で“若さのエネルギーに負けるもんか!”って。 こっちが持ち込まないと跳ね返されちゃうので、持ち込んで持ち込んで“頑張るぞー!!”って戦っていた感じですね。 だから、お互いにライバル意識があって。 本当に元気な人達ばかりだったから、いつも喧々諤々と喧嘩ばかりしていたんです。 でもその分、本当に面白い研究生生活を送れて、その2年間の蓄積があるから今がある…“この期でよかったなぁ”って今は思う。

初舞台は一応『銀河鉄道の夜』です。 ただ…実はその前に、研究生1年目の時に代役で、わらび劇場で再演した『春秋山伏記』の舞台に立ったんですよ、3週間くらい…。 初日が開ける1週間くらい前に、稽古中に故障者が出て、急に呼び出されたんです。 それで、稽古に入った次の日が、舞台の通し稽古。 もう、むちゃくちゃ!下手(しもて)も上手(かみて)もわからないし。 その頃の2・3週間は記憶がほとんど無い。何だったんだろう(笑)。 あ!でも、自分の記憶にある最初に観たわらび座の舞台も『山伏』だ!それに出たんだ!? じゃあ、縁があったんだ!そう思えば面白いな〜。 なので、それが初舞台というかフライングした初舞台(笑)。 そうそう!通し稽古の時に、演出の大関先生に体を掴まれて「君はここ」って(笑)。 通し稽古の真っ最中なのに、演出席から「君はここじゃないよ〜」って言いながら、大関先生がトコトコ舞台に上がってきて。 “うわっ、うわっ”って思っている間に、体を掴まれて座らされた。 そのぐらいしか覚えてない。

でも、『銀河』の時にも、そういうことがありましたね。 「明日から代役で踊って。」と連絡がきた時点で、夜の8時過ぎていました。 僕はバレエを踊った事がなかったから、夜中の3時頃まで客演の人に付き合ってもらって、徹夜で覚えました。 バタバタするのが多かったですね〜。

 

■感情の振り幅を実感して

『天草四郎』の舞台に出て、いろいろ考えたことはありますか?

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“惣吉”が、初めて台詞をもらって、しかも、ちゃんと仕込みの稽古から通してできた役ですね。 “惣吉”に出会えたから、ここまで頑張れたんじゃないかなぁ。 “惣吉”という役は僕にとって、すごく大きな存在です。 すごく好きだし、近づきたいなぁ、すごくいい子だなぁって思っていて。 だから1回1回の舞台も本当に手が抜けないというか、“惣吉”に見られている気がしています。 自分も頑張っているんだけど、“惣吉”が引張ってくれている。 他の役者さんも言うけど、「いい役に出会うと役が引張っていってくれる」って。 “惣吉”に出会えた事、そして演出の井上思さんに出会えた事が大きかったと思います。 『天草四郎』の仕込みが始まったころ、“演技をする”って事がわかんなくなっちゃっていて…。 舞台に立ち始めて数年、何かスースーするような、何処にも引っかからない感じがしていて、きつくて…。 そんな時、思さんとワークショップでいろいろ話ができて。 「お前はマイナス思考が強いんだよ。お前ほどネガティブな奴はいないよ。それを活かせよ!」って。 「お前が感じている1番大事なものを思いっきり出せよ!それが芝居だ!!」って言われて、そんな単純な事ができなくなっていた自分に驚いた。 その時、おいおい泣きました。 それから“惣吉”という役をもらった時、思さんにがんがん叩かれて「お前を鍛えてやる!!」って堅い握手をして。 僕は泣きながら「はい、よろしくお願いします!!」って。

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初めて台詞のある役をもらったこともあり、1年間必死でした。 そして『火の鳥』に配属になり、演出も環境も変わって、もう一度アンサンブルに戻ったらすごく自由な自分がいた。 与えられた役“盗賊”も、実は好きで。“惣吉”とはまったく逆ですよね。 演出の栗山さんの舞台観、舞台に対する思いとか演技の捉え方とか、もういろいろ勉強になっていますし。 プラス、渡部徹がアメリカから客演として帰ってきて。 彼と切磋琢磨したり、舞台上で交し合うのがすごく楽しかった。 彼は、親友でもありライバルでもありますから。 “盗賊”をやっていて、こんなに人には残虐性があるんだぁって。 負に対するエネルギー…妬み、盗む、殺すとか…それはすごいエネルギーだって発見しました。 自分の感情の振り幅が、ドーンドーンって大きくなるのを実感したし、逆にそれも“惣吉”で活かせるんじゃないかなぁって。 “マイナスに凹む惣吉”もいるし、「四郎様!」って“すごく明るい惣吉”、“人のことを思いやる惣吉”、戦いが怖かったり幕府軍を憎んでいたり…。 色んな“惣吉”に気付いて、『天草』に戻って来ました。 “あぁ…惣吉も、心の中はいろんな思いでグチャグチャしているんだなぁ”と思いながらやっている最中です。 でも、もうすぐ終わってしまうんだ、さびしいだろうなぁ。

「わらび座の民舞を使う・伝える、オリジナリティー溢れる舞台を作りたい!」

来年は『カッパのパッカとはるかの夢』に出演、振付けもと言うことですが…。

初め連絡がきた時は、8月頃だったと思います。 「来年の配属は、『カッパのパッカとはるかの夢』です。」って言われて、「じゃあ、カッパですか?河童ですよね!」って聞いたら「違うよ。」って。 “えっ!?じゃあなんだろう?”と思ったら、「はるかだよ。」って。 「えぇ〜!!??だって僕は、男だし??」 今までのわらび座の学校公演チームの男の子役は、女性がやっていたから、絶対僕はカッパだと思っていて…。 それからしばらく問答が。 「あっいえ…、僕の役は、カッパじゃないんですか?」そればっかり聞いて(笑)。 プラス「振付けも。」って言われました。

元々、わらび座に入ったきっかけは、踊りを追及したいと思ったことだし、民族芸能大好きだし。 でも、まさかこんな風に『パッカ』の振付けをするとは思ってなくて…。 実は最近まで、困惑していたんです。やっと最近抜け出したんだけど…。 あることで、原点をもう一度思い出すことができた。 どうやって振付けに向かえばいいのか、根底のところを発見できたんです。

民族舞踊というか、“振付け”ってやっぱり舞台上で踊りを踊るから、ある程度かっこ良かったり見栄えがいいっていう必要がある。 認められるって訳じゃないけど、お客さんも周りの人やスタッフからも、「あぁ、いいんじゃない」って言われるように振付けをやらないといけないって思っていたんです。 でも、やっぱり大事なのはそこじゃないなぁって、気がついたんです。 大事なことは、描かれているテーマにそった振り。 振りありきじゃなくて、テーマって言う大事なものがあって、そこから生まれる振りができてこないといけないんだなぁと。 確かに、凄いかっこいい振りではないかもしれないけど、自分の中から生まれてきた、皆から聞いて吸収してそこから出る振りを目指そうって思っています。 『銀河』でお世話になった振付けの鎌田真由美さんが、自分の中から生み出して振付けをして、その場面を作ったりしているのを見てきたので、そういう作業ができたら…。 スタッフ会議や稽古中に、今どんなテイストにするか、民族舞踊を少し取り入れたり、この民族舞踊でやって欲しいって言われるかもしれない。 わらび座の持ち味でもある民舞を、どんな風に使えるか・伝えるか、そういうことに挑戦できる作品に出会ったなぁって思うし、本当に皆で作り上げていくわけだから、「わらび座だよ!!」っていうオリジナリティー溢れる舞台を作っていきたい。 でも出発点を間違ったら、感動はないなって思う。 自分は振付家としては今回が初めてだし、そういう作業も『よさこい』の時は少ししたけど、本当に素人。 鎌田さんや他の振付家の人達は、膨大な蓄積・メソットがあり、それに比べて自分は…とプレッシャーがすごくあって悩んでいたけど、そこにこだわっていたら違うっていうのに気付けた。

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そんな気持ちの整理ができて、稽古始めの本読みに臨めたし、だから本当に自分らの中から作りたいなって。 台本から思った気持ちが動きになれば、振りになればいいなぁって思っています。 例えば、手話じゃないけれど人の体の動きで「あっ水だ」とか「あっ風だ」って感じられたらいいなぁ。 超絶技法が目的ではなく、本当にそのシーンを見た人が、例えば耳が聞こえなくても「川だなぁ」とか、「温かい気持ちだなぁ」「ここは厳しいんだ」とか、「辛い事があるんだな」って感じられるような振りが皆で作れたらなぁって。 チーム全員でいい踊りを作りたいと思っています。 今回の本読みの時に、演出助手の齋藤和美さんも同じような気持ちだったので、良かったなと思っています。

“はるか”役を1役通して演じるというのは、凄く難しいことだと思っていますね。 作・構成・演出の栗城宏さんが言っていたように、例えば話す相手が“まこと”の時と“パッカ”の時の喋り方って、子どもは本当に違うだろうなって思うんですよね。 小さい頃の自分もそうだった。 親戚の怖いおじさんと喋る時の自分と、母親と喋る時、弟と喋る時の自分は、意識しなくても声のトーンが変わっていたし。 今もそうだけど、子どもの時はもっと顕著だったような気がして。 それをやって、観ているお客さんが「こういう子いるよね」って見えるのは本当に難しいなぁって思うし。 相手に対してパンパンと切り替わりつつも、一本“はるか”っていう少年の基本の軸があって、多重人格じゃないけど、ポンポン切り替わっていくのが自然にできないといけないし、子どもは自然にそうなっていると思う。 だから、そういう面で子どもをどう理解していくか。

それと、今の子ども達を取り巻く状況を、もっともっと吸収していかないと本当にだめだなぁ。 自分の気持ちを汲み取って、その上で“この人に対してはこういう気持ちで喋るよね”とか、今の子ども達が置かれている現状を本当に真剣に捉えないと、自分の思っている感覚だけでは無理なんだなぁって思う。 僕らが育ってきた頃とは、まるっきり価値観が違う、子どもの精神状態が違うんだなぁって。 自分が思い描いている小学生を、そのまま頭の中で構築して“はるか”として作り上げても、それはたぶん“小さい森下彰夫”が出てくるだけであって、この台本の“はるか”っていう子は、今の子ども達の気持ちを本当に何とかして汲み取っていかないと、子ども達が観た時に「違うじゃん」ってなってしまうと思っています。 だから今回の台本読みで、音楽の古崎隆彦さんから、今の子ども達の事をリアルに聞けて(*古崎さんは、学童保育の指導員のアルバイトもしています)、ヒントをもらえたから、本当にここを逃しちゃいけないんだなぁと思っています。 それにはやっぱり、今の子ども達と直にふれあうのも必要だなぁって思うし、古崎さんが「うちの学童保育に遊びに来たらいいよ!」って言ってくれているので、行ってみようと思う。 それと、全国公演から秋田に帰ってきたら、地元の子ども達ともっとふれあうのもいいなぁって思っていて。 「アート夢ネットあきた」でやっている、『風のがっこう』があるでしょ? そのインストラクターも積極的にやろうかな。 今の子ども達も、純粋さや素直なところは変わらないんだけど、何か“のほほんさ”が違うなぁ。 自分はもっと“ぽわ〜”って生きていた気がする。 周りの環境(親や周りの大人)に守られていた気がする。 ニュースを見ていても、こんなに凄い事件が毎日無かったし…。 中傷だったりいじめだったり、裏サイトとか、なんだか理解できなくて…。 メールが来たら何分以内に返さないと無視されるとか、それがチェーンメールで皆にパーっと回って「あいつ、ムカつくね」ってなったら、次の日から学校でポツンってなっちゃうとか…。 実体がない物に怯えているようで怖い。 それに、そういったことが元で大事件が起きたりしているし、先生もシカトされていたり…。 僕の子どもの頃と今とでは、教育現場も違うし、子どもの置かれている現状っていうのも違うんだなぁって。

森下 インタビュー

だから、“ちっぽけな自分は、ちっぽけだから何にも出来ない。だから諦めちゃえ。”と思っている子ども達に、そうじゃないという事を伝えたい。 そういえば、子どもの頃の自分の中にも、そういう気持ちがあったりもしたからわかるんだけど、でも今の子ども達が“ちっぽけだ…”って思っているのと、僕が小さい時に“ちっぽけだ…”って思っているのでは、質が違うんだって思うんだよね。 今の子ども達は、取り巻く環境がもっと怖いから、その思いも引きずられ方も本当に違うと思う。 自分も“はるか”と真剣に向き合って、この作品を観て、子ども達が一人でもいいから気付いてくれたらなぁって思う。 伝え続ける…大切なテーマの一つだなぁと思うから。 だからこそ、そこを外さないように、これからの稽古をしていかないと駄目なんだなぁって。 今まで『銀河』や『天草』など大型チームでやってきて、舞台上の世界という感じだったけど、この作品は平土間(舞台と客席が同じ高さ)が多いだろうし、客席と同じ目線で繋がっている感じがして。 本当に近い。 役者もその舞台の中に居るだけじゃなくて、子ども達の中にまみれるっていう瞬間もある。 自分が今までの関わった作品とは全く違う形態なので、経験者である共演者の神谷あすみとかに教わりながら、和美さんもそのエキスパートだし。 やった事ないだけに、頑張りたい。

出演者3人、いい意味で切磋琢磨というか、しっかり話し合うことができて、しっかり心根にあるものを深め合って、それを出せたらなぁって思う。 今までだと、役者として一人の作業の積み上げが多くて、こう皆で作り上げるのを避けてきた部分があるし…避けてきたというか、できてこなかった。 それをチャレンジしてみたい。 グチャグチャになるかもしれないけど、そこから掘り下げた思いをちゃんと来てくれた子ども達に見せられたら。 それじゃないと、子どもたちの心に本当に触れられないと思う。 自分たちもしっかり心をむき出しにして作品と戦って、いいものを作り上げて出せたらいいなぁって思っています。

ありがとうございました!

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