劇団わらび座
2010年4月〜2013年3月 全国公演
![]() |
手恊謳カとわらび座の出会い
手恷。虫先生がわらび座を知るきっかけとなったのは、創立者夫人の原由子が「学友座」という関西の大学の枠を超えた学生演劇のチームでご一緒だったことです。 当時、大阪大学医学専門部の学生だった手恊謳カと俳優仲間で、先生も学生演劇の俳優としてたびたび舞台に登場されていました。
その後、1987年から3ヵ年限定で、21世紀のわらび座を見据えて、手恷。虫先生はじめ、加藤周一、木下順二、宇野重吉、観世栄夫、外山雄三、その諸先生方を呼びかけ人とした「わらび座と文化を考える会」を立ち上げました。 そのとき、代表呼びかけ人として、手恊謳カにご尽力いただきました。
『わらび座を起点として、日本伝統文化、真の民衆芸術すべての発展のためにとてつもないエネルギーとなり得ることを確信する。 ぼくもその一員として、結ばれた絆を大事にしていきたいものだ。』(月刊「わらび」1987年6月号より)
そして、1987年12月6日雪の中、秋田のわらび座に手恷。虫先生がおいでになり、劇団わらび座の創立者、原太郎との文化対談が行なわれました。 二度目には未発表のアニメーションフィルム持参で来座してくださり、わらび座の子どもたちのための上映会を開催してくださいました。
わらび座×手恷。虫 第1弾
ミュージカル「火の鳥 鳳凰編」(2008年4月〜2010年2月)
劇団わらび座では作品の大小に関わらず、命の火を灯しつづけること、人間の再生ということを大事な精神・ミッションとして作っています。 その象徴となる作品として、「火の鳥 鳳凰編」を、手恷。虫生誕80年という機会に、企画・公演させていただきました。
- 2008年 文化庁芸術祭参加作品となる
- 2009年 月刊ミュージカル「年間ベストテン2008」でベスト15位