2011年5月7日収録
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- ――4月9・10日、わらび座支援コンサート活動のトップバッターとして響チームより、小沢剛、黒木いづみ、齋藤大輔の3人が、岩手県の大槌町、陸前高田市の避難所に伺いました。今回は、岩手生協の皆さんが取り組んでいらっしゃる「牛丼1万食プロジェクト」が行う炊き出しに同行し、各避難所で支援コンサートは2日間4公演おこないました。その時のことを伺いたいと思います。よろしくお願いします。
- 3人:
- よろしくお願いします。
- ――まず、お話があった時、3人でどんなことを話しあったのでしょうか?
- 小沢:
- まず、本当に被災地に行けるの?ということです。地震から1ヶ月近く経っていた時でしたが、テレビで放送される光景は、3月11日に流れた映像と変わりがなかったからです。
3月11日は、私たちは茨城県の高校で公演中でした。幸い一人のケガ人もなく、会場になっていた体育館から生徒さん達全員避難してもらえました。被害はどうなのか気になって、ツアーで使っている車のカーナビでテレビをつけたんですね。そうしたら、津波が襲い始めた瞬間で、「えー!?」って…。もう皆言葉が出なかったです。
当初は「4月10日に響のメンバーで、岩手生協の人達と避難所に行けないか?」と。それでメンバーに相談したら「9日は休みだから9日も行こう」と皆が言うんです。嬉しかったですね。
- 齋藤:
- とにかく、やれる場所、時間があるなら何でもやりたいと思っていました。
- 小沢:
- 私は、16年前の阪神淡路大震災の時、その当時は「アンサンブル虹」というチームに所属していて、被災地に行かせてもらい避難所でコンサートをしました。その時の思いがあるので、今回も何かしたいそういう思いで一杯でしたけれど、他のメンバーも同じ気持ちだったということが本当に嬉しかったです。
- 黒木:
- 剛くんや先輩たちから、阪神淡路大震災の時にわらび座が被災地で支援公演をさせていただいたと聞いていたので、東北もいつか…と思っていました。多分、わらび座の誰もが行きたいと思っているはず。その思いを代表して行く訳ですから、受け入れて頂けるなら2日間とも行きたいと希望しました。
- ――当日、朝早く車で出発。山道を抜けて被害のあった地域に入った時、目の前に広がった光景はおそらく信じられないものだっただろうと思います。やはり、何度も公演で訪れていた地域なだけに、いろいろと感じることが多かったのではないでしょうか。
- 小沢:
- 1日目は岩手県の大槌町。2日目が同じ岩手県の陸前高田市。どちらも本当にひどかったです。言葉では何とも表現出来ないです。大槌町も陸前高田市も、公演で伺った事がある町です。「あの建物が無い。」「あそこがこんなになってしまっている。」…。
大槌町に向かう途中で通った釜石市でも同じでした。僕たちが泊まった事のあるホテルの直ぐ側まで津波の瓦礫が迫っていました。とにかく信じられない光景が、1ヶ月も経った時期なのに迫ってくるんです。生協の人は「だいぶ綺麗に片付いている。」って言うんです。「じゃあ、その前はどんなだったの?」という感じです。未だにガードレールに乗用車が引っかかったまま斜めになっていたり、信号は点いていない…。道路は何とか瓦礫を脇に寄せて通れるようにはなっていたけれど、普段の生活を取り戻すのに一体何年かかるんだろう?と思うと私たちは、ただただ、その光景を見ているだけでした。 - 黒木:
- テレビでは見ていたものの、行けども行けども悲惨な光景に言葉もありませんでした。覚えている建物が、壊れた形で残っているのを見て、やっと、来た事のある道だと分かるくらい悲しい光景でした。まず、道路を使えるようにするだけでも、もの凄く大変だったと思います。
- 齋藤:
- 何度も公演に来ていて知っている町なのに、全てが砂、瓦礫、土にまみれたままそこにあり、それを見て何も言えず、ただ目の前の現実がある…何もない、なくなったと感じ、茫然としてしまいました。
- ――避難所でコンサート。その時の様子を、教えてください。
- 小沢:
- 阪神淡路大震災のときもそうでしたが、太鼓の音で地震を思い出してしまわないかという事がとにかく気になっていました。皆さんが、どう受け止めて下さるのか、いろいろ思いを巡らせながらレパートリーを考えては来たのですが、とにかく演奏始めるまでは緊張でドキドキしていました。
1日目、大槌町に着いた時が丁度、お昼時。食事をパキスタンの方達がカレーを作って炊き出しをしていたんです。とにかく、邪魔をしないように楽器を運び込んで、人が通らない所で静かに待機していました。
いよいよ始まるという時に、避難所の代表の方が私たちを紹介してくれたんです。「わらび座さんが皆さんの為に来てくれましたよ。」と。同じ東北の劇団として迎え入れてくれている、そういう感じがしてすごく嬉しかったです。
1曲目は、貫井囃子という東京のお囃子。皆さんが手拍子や笑顔で応えてくれて本当にホッとしました。受け入れてもらえた安堵感です。私たちの舞台って「聴かせてやる、観せてやる」ではやれないんです。観て下さっている方もこれは面白いとか、楽しいぞとか、お互いの了解みたいな物が必要なんですね。それが出来た瞬間を感じたんです。それがとにかく嬉しかったです。
- 齋藤:
- はじめ「どう見たら良いのか…。」と言う表情をなさっている方がいるのが見えました。やがて「楽しんでも良いのだ。」「楽しい!」という顔になった時、私は泣きそうになりました。一瞬でも被災された事を忘れて楽しんで頂けている感じがしました。
- 黒木:
- まだまだ行方不明の方も沢山いらっしゃるし、ご家族や友人を無くした方も沢山いらっしゃるようなつらい状況で、喜んで頂けるだろうか…と、とても緊張しながらの1曲目でした。でも、近くにいた保育園くらいの子が、パッと笑顔で自分のおばあちゃんを振り返るのが見えました。「良かった。」と思い、そして皆さんが柔らかい笑顔で見て下さるのを感じる事が出来ました。本当に嬉しかったです。
- ――コンサートを終えても、アンコールを頂いて拍手が鳴りやまなかったそうですね。
- 小沢:
- いやー!嬉しかったですよ!喜んでもらえた!っていう充実感と、私達の仕事は、こういう時にも役に立つんだっていう感じと、拍手を送ってくださる皆さんへのありがとうって言う気持ちで一杯でした。アンコールは、やっぱりわらび座の十八番、ソーラン節。凄い手拍子と、掛け声で、こちらが励まされたようなソーラン節でした。
- 黒木:
- 今、この時間だけは、今までのつらかった事、そしてこの先への不安の気持ちを少しでも忘れる事ができているのかもしれない…と思うと本当に大切な時間を頂いていると嬉しく思いました。何曲でもやりたいという気持ちでした。励ましに来たつもりなのに逆に「がんばって!」とたくさん声をかけて頂き、本当に励まされました。
- 齋藤:
- 音楽には、言葉はなくても心に訴えるものがある、あらためて音楽の力を感じました。
- 小沢:
- アンコールも全部終わった後に、「ソーラン節覚えたかった。」って声をかけてくださる人もいたんです。今度の時は、避難所の皆さんで体を動かしてソーラン節を踊るような取り組みもしても良いかも?とも思いました。
- ――今回、わらび座の東北事務所のメンバーも一緒だったんですよね?どんなことを話しましたか。
- 小沢:
- 1日目の大槌町では、オリジナルの曲が多くて、聴いて下さる方々の知っている曲が少なかったので、陸前高田市では童謡や唱歌など、お年寄りから小さな子ども達まで知っている曲のメドレーを、練習なしだったんですが入れました。これは、東北事務所の菊池所長のアドバイスと、声をかけて下さったおばあさんの「知っている曲をやってね」という声に「応えねば!」と思って。1日目の帰りの車の中で、キーと何番までやるかと言う打ち合わせだけして、2日目にやったのですが、やっぱり入れて良かったです。
陸前高田市の一回目の会場に「わらび座知っているよ、何回も観たよ。」と声をかけてくださった方がいて、「今からやりますから。」と声をかけたら観てくれ、”故郷”をやったらその人だけではなく沢山の人が泣いているんです。仙台フィルが震災後直ぐに仙台のお寺でやはりこの”故郷”を演奏しているんですね。離ればなれになっても必ず故郷に帰って来ようっていう思いを込めて演奏した。そういう記事も読んでいたので、この涙には僕もぐっと来ました。菊池所長のアドバイスに本当に感謝しました。
2日目は東北事務所の大波さんが一緒でした。生協の皆さんも現地との打ち合わせが中々取れず、現場に行かないと分らないことがたくさんある中で、とにかく出発しました。それで、現場についてから、避難所の責任者の方と大波さんが直接話をして、炊き出しだけではなくコンサートもやらせて頂く事になりました。
大波さんが、ひとつひとつ丁寧に打ち合わせをして、じゃあやりましょうって話をまとめてくれました。その意気込みが凄いんです。「久しぶりの休日で人がほとんど居ない」と避難所の方が言った時に「たとえ人数が少なくても是非聴いて欲しいんです」と話をしてくれました。菊池所長も大波さんも二人とも、八戸市で営業中に地震に遭って、何日も帰って来られないような思いをしていたんですよ。でも、そんなことがあったとは思えないようなバイタリティーで私たちを盛り立ててくれました。 - 黒木:
- 東北は、わらび座が本拠としている地域。昔からお世話になっている方々、わらび座を応援して下さる方々がたくさんいらっしゃる地域で、二人は私たちより更に地域の顔が見えていると思います。公演を取り組んで下さっていた方々が、今は公演出来ないけれど自分達の町の復興の為にどんどん動かれている、そんなお話を聞かせてもらいながら、いつも私たちを応援して下さる方々を、今度は私たちが心から応援したいと思いました。
- ――避難所にいる方とは、どんなお話をされましたか?
- 小沢:
- 私は、大槌町で避難所になっている弓道場で会った方と話したことが忘れられないです。誰もが着の身着のまま避難してきて、無秩序に早い者勝ち的な場所取りだった避難所で、一人一人を説得して、地面からの冷気と土埃を遮断するシートと畳を敷き、話し合いながら住みやすい避難所にしてきた方なのですが「大槌町が完全復興するまで僕は諦めないよ」と、おっしゃっていました。
あと、陸前高田市で私たちの演奏を聴いた後に、「お祭りの事をすっかり忘れていたよ。俺、実は陸前高田の太鼓フェスティバルのスタッフやっているんだ。いやー!普段の生活を思い出したよ。」って言ってくれたのが凄く嬉しかったです。どれだけ張りつめた生活を今まで送って来たんだろうって思うと、泣けて来て泣けて来て…。つい最近、陸前高田市では今年も太鼓フェスティバルをやるという新聞記事を読んで、また泣けて来ました。本当に嬉しいです。頑張れ!陸前高田!頑張れ大槌町!頑張れ!被災地!そんな感じで毎日過ごしています。

- 黒木:
- 何人もの方が、地震、津波の時の恐ろしい体験や先の見えないつらさ、苦しさを語って下さいました。こういう大変な中でも避難所生活を良くして行こうと奮闘されている皆さんの話も心に残っています。生活が少し落ち着いて来た所で、皆さんでラジオ体操を始めたという所も有りました。ラジオ体操の始まりの歌をみんなで歌う所から始めるそうです。それが大事だと…。生活のケアだけでなく、心のケアも少しずつ始まっているのだと感じました。
- 齋藤:
- まだまだ、この先の事が分らない、どう再建できるか分らないことがたくさんあると思うのです。でも『ここで生きて行く』とおっしゃっていた言葉が、1番心に残っています。
- ――わらび座に戻ってきてから、響のメンバーで話をされていると思いますが、どんな事を皆さんで話をしたのか、教えてください。
- 小沢:
- とにかく行かせていただいて良かったって言う事です。わらび座の原点というか、困っている人達の役に立つ文化活動をするというのが、太平洋戦争後に旗揚げしたわらび座の原点だと私は思っています。”黄に紅に花は咲かねど、わらびは根っこを誇るもの” これはわらび座創立者の原太郎の言葉です。これだけですとあんまり意味が分からないと思うのですが、ワラビというのは山菜のワラビのことで、根っこから澱粉が取れるんです。これは今の「わらび餅」の原料です。昔は、飢饉の時に地面を掘ってわらびの根っこを堀り出し、澱粉を取って餅にして食べて餓えをしのいだと言われています。このように、苦しい時こそ苦しい人達の役に立つ仕事を文化でやろう!というのが私は、わらび座の原点だと思っています。
阪神淡路大震災や中越地震も経験して沢山の文化関係の方々が、今回の地震で沢山の支援をして下さっています。本当に凄い事だし、素晴らしい事だと思います。16年前には、そこまでの支援が文化関係からは出来なかったように思います。その中で、私たちわらび座が阪神淡路大震災の時からいち早くこういう活動をやって来れた事は、誇りに出来る事だと思っています。これからも、まだまだ復興には時間が必要です。時間が許す限りこういう活動を続けたいと皆で話しています。
5月14日には、秋田信用金庫さんの主催で”頑張ろう東北”復興支援として「稲穂堂物語」という新作ミュージカルを秋田市文化会館で1回のみですが上演します。終演後には、秋田信用金庫の職員の皆さんと、私たちわらび座のメンバーで義援金の募金の呼びかけも行います。沢山の方々のご来場をお待ちしています。 - 黒木:
- また次の機会を頂けたら、もっと多くの地に伺って、被災された方々の心を温めるお手伝いをしたいと思っています。色々なボランテイアがあるけれど、やはり私たちが出来るのは文化を通じて笑顔になってもらう事だと強く感じました。
被災地で虎舞や鹿踊りなどの伝統芸能が、復興の願いを込めて踊られたというお話をニュースや新聞で目にします。津波で流された仲間がいらしたり、踊りの道具や太鼓が流されても、やはり大切に踊り継ごうという熱い思い、そのことがその地域をどれだけ励ましているかを知り、胸が熱くなります。
私たちの「わくわく和ライブ」の舞台でも、虎舞を踊っています。子どもたちに大人気の演目です。東北の人々の芸能の力強さを、これからも全国の子どもたちに伝えていきたいと思います。
今年度の小学校公演も、関東でスタートしました。子ども達のはじける笑顔に元気をたくさんもらいながら、被災地の子ども達にも早く舞台を届けに行きたい!!と話しています。 - ――今日は、本当にありがとうございました。
